車椅子の人に対するネガティヴな気持ち
車椅子の人に対する私の心象
私は車椅子な人たちに対してあまりいい印象を持ってはいない。
なぜか?
公共機関にて、駅員・乗務員が乗降の介助をしている場面を幾度も見ているが、ほとんどの場面で見ているこっちは不愉快になるほど、車椅子の人は傲慢だったり、やってもらって当然だ!のような態度なのだ。
車椅子の人が駅員・乗務員に対して礼を言っている姿はほとんど見た事無い。
従って、私は車椅子民に対してあまりいい印象ではないのだ。
これは決して差別ではない。
またこれは別の機会で記事にしようと思うが、「本人の体験によるネガティヴ感情は差別ではない」というのが私の持論である。
これは要チェックなポイントである。
「本人の体験によるネガティヴ感情は差別ではない」
なんでもかんでも「差別だ」という昨今の世界的な風潮はいかがなものだろうか。
その人たちの行動が起因として、相手にネガティヴに思われてしまい、嫌われるのは決して差別ではない。身から出た錆びなのだ。
車椅子でエレベータに突撃する動画
私の車椅子民に対するヘイトは、この動画でやや上昇した。
とは言うものの、これは韓国のお話なので車椅子民というよりも、韓国人の国民性の問題と思われるが・・・。
ただ、それにしても、感情的になった車椅子が突っ込んでくるという絵は怖いものだ。
車椅子でワイン試飲会
そして、更に上昇したのが、この話題。
車椅子でワインの試飲イベントに参加してた男性が、安全を理由に試飲を拒否されたというものである。
そしてこの男性は障害者不当差別だと主張し170万円の支払いを求めて裁判を起こしたのである。
この男性の気持ちもわからなくはない。1杯目は良かったのに、2杯目金払って、それを飲んでる最中に咎められたのだろう。
たしか別のソースだと、この男性は通りすがりではなく、わざわざこのイベント目的で現地に行ったとの事。
気持ちもわかる。
ただ、それで170万円の金を要求することは、どうなのか?何をもってして、どのような尺度で170万円なのか?
この試飲会がどのぐらいの規模か解らない。百貨店のイベントだから結構なものなのかも知れない。
とはいえ170万円の利益を上げるのは相当大変だよ?
もし仮にこの車椅子の男性の主張がとおり、170万円とおり、このイベントが利益がちょうど170万円、あるいはそれ以下だとしたら・・・。
このイベントの全てがこの男性に持っていかれてしまうのだ。色んな人間が何日、あるいは企画段階から言えば何ヶ月も準備し、開催にこぎつけ得れた収益。これを一人の車椅子の男性にみんな持っていかれてしまう・・・。なんという理不尽の極みであろうか?
この170万円という金額はタカリにしか見えないわけである。
車椅子民に対する気持ちは最悪のところにまで落ちたわけだ。
このエレベータや試飲会の件は私が実際に何かされたわけではないが、ニュースをリアルタイムで実際に見た、という意味では実体験である。(が真の意味での実体験よりかは動機としては弱いことは認めるが。)
合理的配慮
障害者差別解消法というものがあるらしい。
合理的配慮、という言葉について内閣府から配布されているリーフレットから一文を抜粋した。
合理的配慮は、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに、負担が重過ぎない範囲で対応することが求められるものです。重すぎる負担があるときでも、障害のある人になぜ負担が重すぎるのか理由を説明し、別のやり方を提案することも含め、話し合い、理解を得るように努めることが大切です。
これはなかなか恐ろしい法律である。
何が恐ろしいのか?
「負担が重過ぎない範囲で対応するべき」
ということは、重過ぎるものは対応しなくても良い。が・・・重い程度の負担であれば、やれ!というものである。
重過ぎるものは対応しなくても良いが
なかなか恐ろしい法律だなと感じてしまうのは私だけだろうか。
どのぐらいが重過ぎるなのか?
対応・要求に対する負担は人それぞれである。なかなか一概に「これは重過ぎる」「重い」「軽い」とかはいえないかもしれない。
では別のアプローチで、この言葉が段階的にどうなのか、ということを検証していこう。
まず、ここまでの私の記事内に「重過ぎる」「重い」が出てきた。「重い」の他の段階では「普通」「軽い」がある。
なるほど、「上中下」と分かれ更にその中で3段階あるようか感じだろう。
- 重過ぎる
- 重い
- 重め
- やや重い
- 普通
- やや軽い
- 軽め
- 軽い
- 軽過ぎる
「普通」のプラスマイナスは「やや重い」「やや軽い」と表現したら9段階でこのようなイメージではないか?
となるとこの法律では、9段階中8段階、程度の負担であれば対応すべしと言っているのである。
これは非常に理不尽に思うのは私だけだろうか?
そして、9段階中MAXの負担ならば対応しなくても良いニュアンスだが・・・。その場合でも対応できない旨を最大限話して納得してもらうよう努力し、代替案を提案する必要がある。
とのことだ。例えば、繁忙タイムの個人飲食店でここまで対応できるようなものだろうか?
そういえば、某有名車椅子の有名人が、車椅子では入れない個人店のレストランに行った際に、「俺を抱きかかえて運べ」的な要求をして断られて、その飲食店をさらしあげようとSNSで拡散した、という出来事があった。
私の車椅子民に対する良くない印象はこの案件も少なからず影響がある。
車椅子界のカンダタの糸
そんなこんなのこの私にカンダタが得たひとすじのくもの糸が如く垂れてきた。
通勤で使っているバスの乗降風景。バスの乗務員の介助の人が車椅子の乗客の乗降介助をしていて、それが完了した際に、
車椅子の中年女性はにっこりとさわやかに「ありがとうございましたー」とバスのおっちゃんに告げたのである。
以来、結構な頻度で場でその中年女性の乗降風景は目にするようになり、その都度感謝の言葉を述べてから立ち去る。
私のつもり積もった車椅子民へのディスライクも多少は解消されつつあった・・・。
駅構内にてカンダタのごとく突き落とされる
がしかし・・・。しかしである。
私の中の車椅子民の唯一に良心ともいえるこの中年女性に駅構内のコンビニに遭遇したのである。
駅構内のコンビニは結構に狭い。非常に狭いのが常。
この女性は何かの商品の選択を熟考中だったようで、通路のからびくとも動かない。
私は越えて向こうに行きたかったのだが、車椅子が邪魔で行けない状態。
私はこの女性は優しい人だ。礼節ある人だと思ってたので、後ろから「ちっ!!」とか悪態つかずに、厳かな気持ちで彼女が商品をピックアップして動き出すのを待っていた。
・・・動かない。
・・・・・・びくともしない。
・・・・・・・・・・・
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ネブカドネザルこと山の如し。
もうこれは狭い隙間を通って向こう側に行くしかない・・・と思い、「すみません・・・」と声をかけつつ、車椅子と陳列棚の狭い隙間を通る試みをしたが・・・・・。
ドサッドサッドサッ・・・と陳列棚から、5,6個落ちる商品。
そう、商品棚に引っかかってしまったのだ。
「あぁ、やはり強引だったか」と思い拾って元に戻すが、この車椅子の女性は知らん顔。
もちろん、私が勝手に引っかかって落としてしまったのだから、私のせいなのだが・・・。
駅構内の狭いコンビニにしては熟考するには果てしないほどの時間を浪費した、あなたが原因に一役買っているのではないですか?
私は謝って欲しいわけでも、拾って欲しいわけでもなく・・・。
「あぁ、私が、長い時間、通路をふさいでるせいで・・・なんかすまん・・・」的なそぶりを少しでも見せてくれれば、まぁ納得だったのだが・・・私が、床に散らばった商品を拾って元に戻してる最中も、通路に同化してるが如く、商品を見つめ熟考している・・・。
まさか、この車椅子女性・・・・
道になりたいのか???
あなたも「側溝道」だったのか???
・・・と、こんな冗談でも言わねばやってらないです。
ともかく、私の車椅子民への印象は非常に悪い状態に戻りました。
ネブカドネザルこと山の如し。
「生まれ変わったら道になりたい」 by 側溝道
車椅子連合、支援者に対して
というわけで、車椅子民やそれを支援する活動を行っている方々に一言いいたいのは・・・。
共生、共生というのは良いが、こっち側に求めるよりも、そちらの態度に問題があるのではないか?
この車椅子という状況が一昔だったら、ものすごい不自由な生活になってしまうところをこの現代に生きているおかげで、さまざまな面で自由があり選択の幅があり、より文化的な生活を送ることができる状況に「有り難く」思うべきなのではないか?
こういうことを、こっち側の私が言ってしまうと、「傲慢だ!」と私が叩かれるかもしれないが、本来は車椅子側の人が現状に有り難く思い、感謝するという啓蒙活動をすべきではないのだろうか?
「有り難い」「有り難う」は、有るのが難しい、というのが語源。
昔だったら、車椅子の人があちこちストレスフリーで移動するのが非常に難しかった状況が現代ではその障壁が徐々に取り除かれてきているという状況は有るのに難しかった状況ではないだろうか?
車椅子民ももう少し、こっち側に寄り添ってみてはどうだろう?
それでこそ共生社会が実現できるのではないだろうか?
Have a something
一般的な人々に対して、今回のテーマである車椅子の人を含む障害者や。社会的マイノリティのLGBTなど、何かしら問題を抱えてて通常の社会生活を送るのに支障がある人たちのことを、「何かしら抱えている」ということで、Have a something = ハブアサムシング(ハブサム)という呼称をこのサイト内では使っていこうと思います。
このハブサムという言葉は今後サイト内で使う機会があることでしょう。