イチロー選手の「大好きな日本」に違和感
イチローがついに引退表明
先日、遂にイチロー選手が引退を表明した。
思えば私が高校生の頃からスーパースターだった。
だが、スターにはスターなりの重責があったのだろう。
全盛期は凄かった。
スポーツニュース各局が「今日のイチロー」的なコーナーがありその日のイチローの成績を報じるのだ。
一選手の個人成績をわざわざコーナーを設けて伝えるのである。メジャー時代ではなくて、日本時代である。
身体が決して大きくはない(それでも180cmはあるのだろうが)イチローがヒットを量産してホームランも狙えた(狙えばそれなりに打てる、ヒット重視なだけ。と過去に発言)
そんなイチローの引退直前、日本国内でのメジャー開幕戦の際のインタヴューで違和感を、感じたのは私だけであろうか?
イチローの凱旋インタヴューの違和感
「なかなか自分の思うような結果がキャンプでは全く出せなかったが・・・大好きな日本でプレイするということで気持ちも全く変わるし、今自分が打てる技術を見せたいと思う」
と、話していた。一聞するとごく普通のことだが、何が違和感なのか?
「大好きな日本」というフレーズである。
このフレーズは、来日した外国人選手のセリフでは頻繁に聞く言葉で、凱旋した日本人スポーツ選手の言葉としては私は聞いたことない。
帰国したスポーツ選手が、食べ物や気候や、風土習慣から、「やっぱ日本が一番ですねー!」「日本食最高ですねー」というのは、聞いたことがあるが、そんな彼らからも「大好きな日本」っていうフレーズは聞いたことない。
このニュースを一緒に見ていた人にこの違和感について尋ねてみたが、「何も違和感ない」と一蹴。
そうか、私がおかしいのかも知れない。
が、世の中には同様の違和感を感じている人もいるかも知れないので記事にしてみる。
なぜ、日本人による「大好きな日本」発言に対して違和感を持つ理由
では、私はなぜ、日本人による「大好きな日本」が違和感なのだろうか?
それは恐らく、「日本人なら日本が大好きで当然ではないか?」という根底、デファクトスタンダード(暗黙的な了承)があるからだ、と自己分析した。
日本人ならば日本が大好きで当たり前。そんなことをわざわざ口にしていう必要はない。
だから、今までも様々なスポーツ選手が凱旋時にそんな事を言わないのだ。
なぜイチローは「大好きな日本」という表現をしたのか?
考えてみたが二つ可能性がある。
永年のアメリカ暮らしでアメリカ人化
一つ目は、20年近くアメリカで生活することによって、半分アメリカ人化してしまったのでは?
という説。なるほど、アメリカ人化が進んでるのであれば、来日した親日外国人が如く「大好きな日本」という発言も納得できる。
ナショナリズム、国民の愛国心を煽るため
実はこの会見中だか、前後かでイチローは、「やっぱり日本人であることで既に勝ち組なんだなと思ってます」という発言をしたとか。
こらは私の想像であるが、イチローは恐らく嫌韓であると思っている。私だけでなく、こう思っている人間は多いだろう。それが象徴されるシーンがかつてのWBCで韓国に敗戦した際に、「ファーーーーーク!!!」と激昂した。多分、イチロー自身は素はどこにでもいる普通の人間なのだと思う。が、自身が神格化され、その本来の自分自身との解離の振れ幅に戸惑いつつも、世間の求めるイチロー像にフィットさせてた、と言うのがイチローの真相ではないか?と言うのが私の分析だ。
ちょっとズレたが、イチローは普段は公では世間のイメージにあったイチローでインタヴューなどは応えてるように見える。素のイチローは封じてるのだ。そんな中でのあの激昂。よっぽど悔しかったのだと思う。この激昂の意味には自分が日本代表を牽引して士気を上げると言うものも意図的にあったかもしれないが、本当に悔しかったのは間違いない。なぜ悔しいか?それは嫌韓だからだ。
ならば、昨今ヒートアップする韓国による日本叩きに辟易しててもおかしくはない。
と言うわけで、日本人ならば大好きであるはずの自国を敢えて「大好きな日本」と表現したのは、日本人の眠れる愛国心を呼び戻すためだったのだ!
と断ずるのは飛躍しすぎであろうか?
いや、私がこのような記事をワールドワイドウェブの極小エリアで書いてるだけでも、愛国心を喚起する切っ掛けにはなったとは思うから、「大好きな日本」って言葉に意味はあったのである。
イチローのセカンドキャリア
もうこうなったら、イチローは政治家、それも総理大臣ぐらいまで昇って欲しいものだ。
アンチが少なく、発言力があり、愛国心もある。
ならば、いっそのこと政治家となって頑張ってもらいたい。
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