ヘアドネーションをする人は素晴らしい人だ!
へアドネーションをご存知だろうか?
ヘア=髪の毛
ドネーション=寄付
ということで髪の毛を寄付するという活動である。
私の余命いくばくかの髪も悲壮なヘルプを発しているが、そういう系の人を救う活動ではない。
ヘアドネーションとは
まずはwikiをご覧になってほしい。
ヘアドネーション(英: Hair Donation)とは、小児がんや先天性の脱毛症、不慮の事故などで頭髪を失った子どものために、寄付された髪の毛でウィッグを作り無償で提供する活動。
もともとはアメリカの団体Locks of Love[1]などが行っていた活動で、日本では2009年にNPO法人Japan Hair Donation&Charityが活動を開始した。 当初は認知度の低さから髪の毛の寄付が少なく、最初のウィッグを提供するまで4年を要したが、水野美紀さんや柴咲コウさんが参加したことにより認知度が上がり、寄付が急増した[2]。寄付する髪の毛は、原則として31cm以上(『つな髪プロジェクト』は15cm以上)の長さがあることが条件。
引用元:wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
ヘアドネーションとは、自分で髪を何ヶ月も伸ばして、綺麗にケアして一定の長さになったら、ばっさり切って寄付するのだ。
世の中の存在するさまざまなボランティア・慈善活動
世の中には様々な慈善活動、ボランティアがある。ざっと挙げてみよう。
- 環境保全
- 国際交流
- 社会福祉
- 障碍者支援
- 献血活動
- 防災活動
- 被災者支援
大まかにあげるだけでもこれだけある。
「xxな人に悪い人はいない!」という言葉は一度は聞いたことがあるかも知れない。
この「xxな人に悪い人は居ない」の王様が、このヘアドネーションだと思うのだ。
「ヘアドネーション活動をしている人に悪い人はいない」
という感じか?
もし人格・人徳を数値化するのであれば、ヘアドネーション活動をしている人は、それだけで大幅なポイントアップである。
人格大幅加点なのだ。
SNSとかリアルでヘアドネーションをしている人を見掛けると、好印象である。
この加点度はフィギュアスケートで言えば、かつてのトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である。
だが、聡明な皆さんはお分かりの通り、時代は4回転へと移行し、多くのスケーターがトリプルアクセルはこなすようになってきたのである。
なぜ私がヘアドネーションをここまで評価するのか?
他の慈善活動・ボランティアにはあって、ヘアドネーションには無いもの。
それは「体験」である。「エクスペリエンス」である。
他のボランティアをする場合、「非日常体験」という対価を得られるのだ。
この非日常体験はボランティア活動をする際の大きな「動機付け(モチベーション)」である。
そして、ヘアドネーションにはそれが無い。
なぜなら女性にとって、髪を伸ばして手入れするのは日常的な体験なのだ。
ボランティア、慈善活動をする人には「人の役に立ちたい」という気持ちとプラスアルファで「非日常な体験」を得られる。
という二つの気持ちがあるのではないか?
対価や見返りを求めるボランティア活動、それはそれでもちろん、素晴らしいことである。
私のヘアドネーション賛美は他のボランティア活動を貶めるものではない。
ヘアドネーションが頭一つ抜けて素晴らしいのだ。
私は長い髪の経験はないから良くわからないが、ヘアドネーション活動することで、その日々のケアで時間を大分使うことだろう。
貴重な朝の時間を5分、10分も余計に取られるだろう。
眠たい夜の時間を10分、15分もブローせねばならないのだろう。
そして、長い分だけ髪にシャンプーリンスやケア用品のコストが余分に掛かるであろう。
こんな自己犠牲なボランティア活動は他にないのではないか?
だから、この活動をする人は人格・人徳が半端ない人たちなのだ。
と私は思う。
受けた施しは、次の人へ
恐らくやる方たちの多くは、以前にヘアドネーションの恩恵に預かった人たちであろう。
「受けた施しは、次の人へ」
私の好きな考え方だ。
例えば、若い頃、年上の人に奢ってもらった経験は、自分が年取って逆の立場に立ったときに若い人に奢ってあげればよい。
また、今、文化となり民度となりつつあるのは、サッカーの国際大会での試合後のゴミ拾いか?まぁ後者は施しではなくて単に行動、習慣であるが。
それが、また次の人に受け継がれて、それが何代も繰り返されることによって、文化になり、国民性、民度となるのである。
こういう考えは素晴らしいことだと思う。
そしてこれを実践できるのが日本人の強みであると、そう思うのだ。
「受けた施しは、次の人へ」を繰り返すことで、文化になり民度となるのだ。
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