動物愛護の「段階」と私の考え

動物愛護について

最近、動物愛護・動物虐待について興味があり、色々調べているが、「動物愛護」と言うが、その段階は多段であり多層である。

以下は動物愛護団体のWikipediaの引用である。

活動の具体的な内容は、捨て犬、捨て猫の保護ならびに飼い主探しや、飼い主に飼えなくなったとして保健所、動物管理センター、動物保護施設に連れてこられた犬猫、もしくは捕獲された犬猫の殺処分を減らす運動、地域猫活動などさまざまである。
飼い主から捨てられた動物の生存を社会的に受け入れさせるため、動物を一時収容し、家庭動物としての訓練を行ったり、病気や怪我の治療、不妊去勢手術、ワクチン接種などを行った上で飼い主を募集する施設をアニマルシェルターと呼び、日本ではまだ認知度が低いが、欧米では、動物の入手先として大きなウェイトを占める。
研究機関の動物実験への反対、動物園、サーカス、闘牛、ロデオなど飼育動物の虐待への反対、ベジタリアンになる、など産業動物を対象とした活動も動物愛護と呼ばれることもあるが、厳密には動物の権利運動(アニマルライツとも)として区別される。ズーチェ動物園に関しては動物園廃止運動、ック運動が動物権利運動である。
また、それら産業動物を利用することは否定せず、飼育状況の改善などを求める運動を動物の福祉運動(アニマルウェルフェアとも)と呼ぶ。これらでは例えばと畜場へと家畜を運搬する場合に、不衛生な環境やストレスを与える要素を減らすなどの運動である。

引用元 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E6%84%9B%E8%AD%B7%E5%9B%A3%E4%BD%93

「動物の権利運動」
「動物の福祉運動」
など、色々と用語があるようだが、ここではまとめて「動物愛護」とする。

先ほどのWikipediaも参照しつつ、私なりに思いつくだけ書いてみる。

動物愛護の段階について

  • 1.捨て犬・捨て猫の保護等
  • 2.犬猫の殺処分の軽減
  • 3.地域猫活動
  • 4.悪質なペット業者、虐待愛好者による動物虐待の反対運動
  • 5.動物の娯楽利用への反対運動
  • 6.動物の経済利用への反対運動
  • 7.動物の食料利用への反対運動

ここは、上はライトで、下に行けば行くほど濃い動物愛護活動である。

基本的にはマズローの欲求段階説のように、「下の層は上の層を包括する」というイメージで差し支えないだろう。(地域猫に関しては、賛否あるだろうが。というか、改めて見ると3の地域猫だけ、なんか浮いてるかも。でもせっかく書いたのでそのままにしておく)

私の動物に対するスタンス

肝心な事について言うのを忘れてたが、私の動物愛護関連のスタンスは、一通り変遷して今は

Point

「地球は人間の支配域であり、その土地を統治する人間が、人間の都合で適切に管理すべしである」

子供の頃は地球・自然第一主義者だったので、害悪な人類は滅べば良い、と本気で思ったりもした。

では、解説しよう。

1,2はそのままの内容なので割愛。

3.地域猫活動

3は賛否や是非が問われる事項でなかなか難しいが、要は地域みんなで猫を可愛がろう。面倒を見よう。という活動だ。私の住んでいる地域は古い地域でお年寄りがメインのエリアだが、地域猫活動があるようで、近隣のおじいさん、おばあさんに可愛がられてる猫が、4,5匹いる。私もこの地域猫を見掛けるとほっこりする。非常にかわいらしいのだ。ただ、私がこのように思うのも、自身に害がないからであり、仮にベランダで糞尿を垂れ流しされて、強烈な匂いに悩まされたりしたら、考えは変わるとは思う。が、今のところそれは無いので地域猫活動に賛成である。

4もそのままだが、これについては改めてこれはまた別で書こうと思う。

5.動物の娯楽利用への反対運動

5は動物の娯楽活用に対する反対運動だが、具体的にはWikipediaの引用にもあるようにサーカスによる動物の使役を虐待と称する人もいるし、闘牛、闘犬もそうだろう。

6.動物の経済利用への反対運動

6は経済利用だが、革製品の反対運動がそれに当たるだろうか?競馬は娯楽かどちらかとも思うが、莫大な金が動く世界なので経済にした。クマの胆汁抽出もこちらか。先ほどのも書いた通り私は「人間により、人間の都合の良いように管理、利用、活用すべし」という意見で、どちらかと言うと動物愛護活動には否定的である。ここで挙げた深い階層の動物愛護活動ほど反対である。
が、しかし、この「クマの胆汁抽出」案件には反対である。生き地獄も甚だしいからだ。ぜひ、「クマの胆汁」で検索してみて頂きたい。
ちなみに革製品は残虐なのだろうか?

・革製品を作るために、動物を殺す
・食肉の副産物として、皮を得る

どちらなのだろう?
と思い調べたら革を扱う業者さんの記事が出てきた。

なるほど、革製品は副産物なのか。

と思ったら真逆の記事も。

どちらが本当か?
私は経験上、後者の人のように、「情に訴えかける修飾語」を多用する人の文章は信用できない。

多分恐らく、両者の主張、それぞれ正しいのだろう。
副産物として生産される革もあれば、革を得るために殺される動物もいるのだろう。特に高級な革、食用ではレアや動物の皮などがそうだろう。仮に革の為に殺されてる側面があるとしても、それでも私は有り難く使わさせていただく。(というか、25歳過ぎてからファションには興味なく革製品買うことなどないが。買うとしても合皮で充分であるが)
ちなみに一番滑稽で矛盾を感じるのは、動物愛護の観点から革製品反対を掲げつつも肉は食う人達だ。
(食肉としてもメジャーな例えば牛の革製品はどうあがいても防げないから、牛革は愛用して、革の為に殺されているであろうレアな動物の革製品は使わないという、考えならば理解できるが)

7.動物の食料利用への反対運動

7は主に動物の食肉が問題になるが、牛や豚や鶏などなどである。これに反対する人達が、いわゆるヴィーガンと呼ばれる考え方なのだ。絶対菜食主義とも言われるらしい。腹を満たす為に他の命を頂くのを拒むと言う考え方だが、ではその菜食はどうなのだろう?野菜だって元々植物であり命では無いのだろうか?「植物には感情がないから」という意見もあるかもしれない。だが、植物にクラシックを聴かせて収穫した野菜が美味しいという成果があり、それを商品化してるケースもある。逆に罵声を浴びせると腐ってしまうという事例もある。眉唾物かも知れないが、多数事例があるのも事実。ならば、野菜にも元は感情を有している可能性もあるのではないか?
これは仮定の話だが論じても仕方ない。(私がヴィーガンに関してネガティブな考えあるのは、感情的でキレやすい、他人に意見を押し付ける。という人が多い。知り合いでもこういう人が居た)。

ただ、そんなことを考えても仕方ないわけだ。人間は生態系の頂点に立つ生き物である。我々人間は、生きて行く以上、他の生物の犠牲の上で成り立っているのだ。逆に言えば他の生物の命を奪うことなく成立する社会は存在し得ないのである。ならば、その恩恵を十二分に得させて頂こうではないか。有り難く頂戴しようではないか。

という考えが私の動物愛護的な思想の根底にある。

この階層で5番目よりも下、つまり、
「動物を人間の益のために利用する行為全般に反対してる人たち」が好きではない。もうちょっと踏み込んで言えば嫌いである。伝統文化を否定し、考えを押し付けて、感情的に騒ぎ立てる。

捕鯨反対で暴力的な手段にでるシーシェパードや、今後、動物愛護関連の記事でも度々登場するであろう杉本彩さんなどが典型的か。やはり最近の児玉千明議員の不適切な狩猟な投稿(と言われているもの。私の意見としては不適切なのは変顔のみである)に対して、辞職要求を迫ったことが記憶に新しい。ちなみに杉本彩さんはどこの階層なのだろか?恐らく肉は食べるのではないかな?(ヴィーガンだったらすみません)なので、6層目の住人ということか。

※先日上げた記事。

下層に行けば行くほど人間としての活動が制約が生まれ困難になる。そして、包括的な第7層、つまり「生きる上で、他の生物を殺さない」と言う考えになると、もう詰んでいる。直接的、間接的に他の生物の命を奪うことなく生きることなど不可能なのだ。

さぁ、長々と書いたが、これは序章である。今後は定期的に動物愛護関連の記事を書いていきたい。

私の目的としては、何をするにも規制、規制、炎上。ノイジーマイノリティにより閉塞された社会に風穴をあける為に一石を投じたいのだ。

動物愛護関連全般に反対するものではない。今言われているみだりな殺傷にはもちろん反対である。そして、先に書いたクマの胆汁は極悪過ぎるので反対である。(ただ、そうまでして抽出するエキスに興味はある。飲んでみたい)

ただ、世の中、あらゆることで過剰になり神経質になっているのはどうなのか?令和元年であるが、2時代前の昭和のおおらかな雰囲気が懐かしくもある。大きな時代の流れにのまれていると言えば仕方ないかも知れないが・・・。

と言うわけで一旦区切りたいと思う。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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